2014年6月29日日曜日

郷蔵ガラス扉 竹


考える、やる、出来上がる。有る材料でデザインする制限が面白い、なによりやるのが大事。イサム・ノグチも名前は後から付けていた。竹やぶのシルエットなので竹とつける。材料はガラス、イチョウ、柿、柿渋を塗っておいた。何よりお客さんと気持ちが分かち合えることが嬉しい。

2014年6月27日金曜日

万之丞 幻の仮面





デトロイト能舞台
脱活乾漆とは漆と麻布をを張り合わせ中を空洞にして作られた彫刻の技法のひとつで厚みは1センチ程そして軽く日本では1300年ほど前の仏像が残ることから耐久性も立証されている。郷蔵のある鹿背山には水島石根さんというこの乾漆の作家がおられ昨日、チベットの仮面製作の写真をもって行った。その写真を見せると水島さんはわしも野村万之丞の仮面を作ったことがあると言われてビックリした。

野村万之丞とは和泉流の狂言師で僕は2003年頃デトロイト日本商工会の記念イベントでその公演の能舞台を作りにいったことが有り食事を共にしたことがあった。その時に万之丞さんはシルクロードに掛けたマスクロードの話をされていたのだ。仮面劇の有る国は少なく希少な文化でそれを持つ国を回り世界で仮面劇の公演をして回ることを熱く語られ、その一カ国目に北朝鮮からスタートすると言われていた。どこまでやられていたのかは分からないがその後病で亡くなられた。

水島さんはその万之丞さんから仮面の依頼を受け作られていたが急に亡くなられたのでこれらの仮面は渡すことのできなかった「万之丞、幻の仮面」と言うことなのだ。チベットの仮面の写真を持っていったことでこの仮面に出会うことが出来た、そいして仮面とは不思議な力があるように思えた。












2014年6月25日水曜日

チベットの仮面製作




今日は仕事の帰り脱乾漆(だっかんしつ)のアトリエに寄った、そこの作家さんが前から遊びに来いと言うのでちょっと寄ってみた。脱乾漆とは麻布を漆で固めて形を作るもので奈良時代に作られた阿修羅増はそれで出来ている。中は空洞でとても軽い。明日この写真をその作家さんに見せてあげようと今から27年前、僕が23歳の時に行ったチベットの写真を引っ張り出して複写した。この写真はチベットのサキャ寺院で撮ったもの張子でお祭りの面を作っているところ英語で言えばペーパーミッシェ―、これは脱乾漆ではありませんが。チベットには自転車で旅行をした経験がある、上海からインドのカルカッタまでヒマラヤを越えて走った。そのときの話はまたします。

2014年6月24日火曜日

郷蔵扉 夕立・農業・アート






雷が鳴り夕立が降り夏らしい香りがする、ここでの仕事は農業を手伝いながら。大豆を植えるそして芽が出る、理屈では分かっていてもその現象を見るのは自然の神秘だ。農家の人たちは土の養分を整えたり目に見えない部分でさまざまな現象に備える。そんな農作業のなかここのおっちゃんは蔵の仕事を見るのを楽しみにされている。焼いた筍や味噌、ラッキョ、梅、饅頭などが置いてあるのは食べなさいという意味。本屋やチラシが置いてあるのは読みなさいという意味。


2014年6月22日日曜日

郷蔵扉製作 雨上がり


梅雨だというのに久々のまとまった雨。外の田んぼではまだ田植えが出来ない所がある。池の水を利用しているところでは雨が降らないと水田が難しいらしい。夏至のこの時期が昼間の時間がもっとも長い。新聞を見るとこの時期に中国や韓国では犬肉祭りがあるという、これからの暑い夏に備えて滋養強壮や血液の循環を整える薬剤として犬が食べられてきたらしい。いったいどんな味がするのかと思う。ネットで写真を見るととくに食肉犬というものがるように思えない、いろんな犬を食べている。今までずっと食べてきたのに今になってやめろや恥ずかしいはないやろ。これも食文化として続けて欲しいと思う。日本の鯨も食文化として認めてもらわあいといけない。

2014年6月20日金曜日

木津の料亭 建築デザイン


これはカブ?柿?何?和のデザインの遊び心

2014年6月19日木曜日

イチョウの樹皮 柿農園のスピードスプレーヤー

建具にイチョウを使っている、樹皮を外すには生木のうちが一番とりやすい。数ヶ月前に製材したこのイチョウももうほとんど乾燥しているのでこの木の乾燥はとても早い。皮をむいた耳の部分を使うので皮を外すがかなりガッチリとくっ付いている。もっと乾燥すると外れてくる。豚のアバラ肉みたいなもので煮込みきると外れてくる。



柿農家の蔵を直しているので時々農業なども手伝うことがある。この日は買いたての共立スピードスプレーヤーで農薬散布を手伝った。この機械での初めての散布になる。山の斜面の柿木の間を縫いながら散布する。ロデオでしたわ。


2014年6月18日水曜日

郷蔵の窓


蔵の建具を作っている。もともとの蔵には無かったものだが裏面は好きなようにお任せで仕事をさせてもらっているからだ。この窓は枠がイチョウ、直角を保つ筋交いの部分に柿を使った。ここは柿農家なのでところどころ柿を使うように持ち込んである。お任せで仕事をさせてもらっていることはまれな機会なので充分に楽しませてもらおう。これがあの時作ったあの作品となるように。

2014年6月13日金曜日

岐阜県 平野木材 キハダとホホの木



6月12日平野木材の市に行く。いつものように金子さんと宮本さんと朝3時半にうちの工房へ集合して出発、到着までに2時間半ほどかかる。金子さんのカエデを入手するのが主な目的で僕はちょっとだけ端材を買っただけだった。しかしここに来るといろんな人と話が出来るので来れば何か刺激を受けることができる。今回はびっちり競りに付いて回らず色々な材木の種類を勉強して回ることに時間を費やした、だってここは原木から板の状態がわかる生の広葉樹の百科事典のようなところなのです。平野木材の隣にある小林三之助商店は原木のみ置かれていて樹皮の様子や年輪、幹の長さなどが良く分かる。沢山写真は取ったが今日はキハダとホホの木について書いてみよう。これらの木はどちらも切ってから日が当たると黒く色が変わる板の特色を持っている



これがキハダの木で濃い茶色、非常に細工しやすそうで上品な感じがする。シラタと赤身が徐々に色が変わりやさしい感じも受ける。桑の代用品としても使われ女桑と別名で呼ばれるらしい、女性的な優しい感じがする。皮の断面が黄色に見える、生育時からその皮から黄色が見え黄肌と呼ばれるようになった。この皮の部分はオオバクといい漢方薬の薬としても用いられる、胃腸薬や火傷に使うらしい、また黄色の染色材としても使われることもある。


上の板を一枚めくると日に当たっていない部分はまだ赤身も白くシラタは黄色かった。


これがキハダの樹皮に皮の削れたところが黄色ことが分かるオオバコの材料。


これはキハダの様な色ではあるがホホとかかれている。朴の木です。神社などでにも見ますが葉っぱの大きな木でモクレンの種類にあたる。猪猟では罠を隠すのにこの葉っぱで覆われていました。競りの最中この板にたかっている人たちと話をした。一人は版画家、もう一人は刀のサヤを作られている方たちだった。これを狙っていると言う、この曲線が刀の形に良いらしい。これらのものに使用されるということはまず変形しにくいそして軽くまた細工しやすいという点が考えられる。手前のこの山9枚積みで一枚あたり6千円を超えた。これはけっこう高い値の付いたほうです。競りの場合二人欲しい人がいると競りあがっていくのです。


このホホの一番上の板をめくってみた。すると製材してまだ日にあったっていない部分は薄い緑色だった。僕はこれを見てすぐにポプラの木を思い浮かべた。あれもこういう緑から茶色に変わる木だったからだ。


平積みされた競りの次はこのラックに入って立てられている競りに代わるこれは板目が良く分かるように置かれているわけでやはり価格も少し上がる。本日僕がもっとも注目したものは曲がりの土地だった。


この曲がりの栃は僕からするとそれは見事なものだった。幅は70から80センチありカウンターにしてみたいという気持ちにさせられた。6枚つづりで曲がりの高さは150ミリほど有った。これは製材するのが大変だったと思う。結果なかなか買い手が付かず材木屋からはこれは置くのが大変やと愚痴が聞こえた。なるほどそういうことか結局この大ききな曲がり板は一枚あたり1.3万円で売られていった。売主は泣いていると思う。


そして製品の最終売り場この小屋の中、これらのものは数十万円で落とされるものもあった全ての材木を売り切るこの市は広葉樹の日本最大の市でもある。毎月おこなわれているがいったいどこに行くのだろうこれらの木は。

2014年6月10日火曜日

蔵腰壁 シングル・サイディング  初どじょう







蔵の窓下の腰壁をヒノキのシングル・サイディングにした。大阪平林の青木木材さんからもらった端材を利用した。冬に隙間風が入らないように二重構造にし、すっきりと真直ぐ仕上げではなく、ラフな感じで張りました。このシングルを張るのはけっこう面白い。アメリカではものすごいシーダーのシングルの屋根が有った、あれを見たら何でも出来ると思うな。4分厚ほどのヒノキの端材を適当な長さに切り耳をノミで落とした。蔵の中もだんだんと作業をするのにもさまになってくる。

今年初めてのドジョウちゃん。大きなドジョウが一匹捕れました。ドジョウもどこにでもいるというものではないのです。少なくはなりましたがいるところにはいます、それは去年に調査済みなのです。さてこのドジョウがどうなるかな。フフフ



2014年6月6日金曜日

郷蔵の作業 仮工房




 

鹿背山の郷蔵の作業が続いています。正面は建造当時の形を復元して裏側にはデッキと窓や戸など建具を入れます。ここで使用する材木はこの村でとれた雑木と廃材が主でウチの工房で原木製材したもの。これらの材木はクヌギ、コナラ、榎、柿、桐など。先週にウチの工房の整理も兼ねてほとんどの雑木や材木をここに持ち込んだ。今までは造作物はいちいち工房まで作りに帰っていたが持ち込んだ材料でここで作ってしまうことにした。電動工具は丸鋸とカンナとインパクト程度で作業をしている。この日は建具の枠を入れた。最終的には両開きのガラス窓と8尺高の両開きガラス扉と9尺幅のシングルハングの窓を木製滑車で上下させる予定。蝶番も木製で作る。木製の滑車は旋盤で作るがそれ以外の建具なども出来るだけここで作ろうと思っている。直線を機械で無理に作るのは江戸時代の造作にはそぐわないと思ったからだ。それに雑木は真直ぐにした後から逸れてくるので無理を余りしないことにした。そんなに細かな仕事はしていません三寸釘も打ち込んでいます。土壁と建具の仕舞いなどを考えて作業をしている。

2014年6月2日月曜日

柳生の里に行く、天石立神社





 今日は妻とちょっとデート、奈良の柳生の里に行ってきた。気分転換にどこか行こうと先週のうちに決めていたのだ、ここは時代小説好きの彼女の選択。花しょうぶ園の花はまだほとんど咲いていなかった。柳生新陰流の始祖、石舟斎が天狗と思って切った岩、一刀石を見に山を登った。杉林を超えると茶畑がありその先に石の鳥居、天石立神社(あまのいわたてじんじゃ)が有った。鳥居をくぐると聖域ともいえる静けさの中、杉の木漏れ日に当たった若いコケ色の大きな石が目の前に現れた。ここはこのような花崗岩で出来た巨岩がゴロゴロある。岩はそこの自然の中から出来たもののようだがここにあるものは突如どこからかやって来た石のような異質な感じを受けるところだった。この神社は本殿が無く巨岩そのものを神体と崇める太古からの祭祀の形態を遺す古社で、天照大神がこもったとされる天岩戸が天から落ちてきたとも言われている。人間が作ったものではなく太古から崇められるこのような自然物に接することで心が閉じこもりがちな街の生活から開放されたような心地になった。参道、人には会わず一キロほどの道は徐々に神秘の世界へと心を移してくれた。

2014年6月1日日曜日

栃の衣装タンス 完成







和タンス、衣装タンス、整理タンス呼び名は色々ですが。着物を入れられるタンスを作りました、作り方は西洋式のチェスとです。同じ栃の木のツレ木で作っているので色合いが同じものです。この栃は直径1メーター有り心材に赤身、シラタにミネラルそれをコンビネーションとし引き出しの表はブックマッチングでグラデーションにしています。木材の持つ個性をそのまま生かした木取りをしました。引き出しはダヴテールでサイドランナー式、底は桐を使いました。ウレタンの入ったオイル仕上げと最後にビーズワックスでツヤを出しました。