2010年8月25日水曜日

東京葛飾 人形ケース職人の鉋 譲り受ける



東京葛飾で人形ケースを作られていた山田さんと言うおじさんが91歳で亡くなられた。
そのおじさんの娘婿さんは僕の奈良の知人でたまに伐採した木を分けてもらっている。
「ワシが持っていてても宝の持ち腐れや」と僕が譲り受ける事に成った。

平の寸八、内反り、外反り、際、溝、面取り、台直しなど合わせて21丁
建具屋が使う様な鉋が多く口も狭く手入れもして有りすぐに使える物ばかりだった。

嬉しいな、これもなんか亡くなった人とか道具との縁の様に思えます。
額縁やモルディングなのどの作業に充分使えます。

これだけのまとまった道具を頂くとその人がどんな人だったか考えずにはいらえません。
山田の焼き印は付けたまま使用しよう。

実はこの前、アメリカで使用していた鉋が限界に来たので
寸八と48ミリの平鉋新調したばかりだったんですけど
転がり込んでくる時ってゴロゴロといっぺんに来たりするんですね。

こういう細工ものの鉋を観ると思い出すのが黒田辰秋さんの工房の鉋だ。
若い頃、京都の清水にある黒田邸にはよく遊びに行った。
辰秋さんはその時既に亡くなられていたが息子さんの乾吉さんにはよく遊んでもらった。

床に座る作業場の壁際には小引き出しがいっぱい有りその中にびっしり子鉋が入っていた
辰秋さんは自分で鍛冶もされ鉋も作られていたという。
息子の乾吉さんも僕がアメリカから帰って来た時には名前が変わっておられた。

あの道具達はは今どうなったのかな?




2010年8月24日火曜日

展示台作製/GOOD DESIGN EXPO 2010






大阪のインターデザインさまからの依頼で
某メーカーの刈払機の新作の展示台を作製しました。

素材は木ですが無機質で機械的な仕上がりを求められていたので
木部に金具のチャンネルをはめた後、テーピングと石膏で下地を作り
グロスのポリウレタンでプラサフ下地と上塗りを吹き着けました。

イメージ通りだと大変喜ばれていました。

インターデザインさまは僕の出来る事をよく把握して頂いてます。
お互いに信頼し合い尊重し合って仕事をしているので
大変気持ちのよい関係が続いています。

これからも宜しくお願い致します。

2010年8月20日金曜日

故 木村 威夫 先生の映画美術資料移設/片身受け林海象


京都造形芸術大学、映画学科技術コースの教授である嵩村さんから電話が有った。
今年に入って造形大関係の仕事が増えている、学科長の林海象さん絡みの依頼だ。

舞台、映画セット、お化け屋敷、学祭の舞台などポシャった仕事も有るが
映画学科の高原校舎に呼ばれる事が多くなった。

今回の仕事は東京の調布に行き故 木村 威夫 先生の映画美術の資料と
スチール製の可動式本棚を京都造形大学の教室に移設するプロジェクトだった。

僕は生前の木村先生を知らない。
4年前に帰国してから映画関係の仕事に携わる事がしばし有る。
今回の仕事はそんな中、映画美術を考える一つのきっかけに成りそうな気がする。

このプロジェクトで事前に東京入りして資料の整理と梱包の準備をされていたのが
師・木村 威夫の志を受け継ぐべく完全再現に燃えていた嵩村さんだった。

この膨大な映画美術資料を丸ごと分散する事無く
ひとまとめに引き受けるれる事はそう出来る事ではない。

作業中、日活芸術学院の方も見に来られていたが指を銜えて見ておられるだけだった。
これらの物を丸ごと受け入れられる設備と準備が出来ないからだ。
木村先生の経歴からすれば日活で保存される事が筋なのだが実現しなかった。

そこでこの日本映画史に残る美術資料を受け入れる事を買って出たが
現在、京都造形大学映画学科学長である林海象さんだった。

海象さんは27歳の時、映画製作に携わった事も無い状態で
大映、日活と当時200本以上の映画美術監督をされて来た木村先生の所を訪ねた。
処女作である「夢みるように眠りたい」の実現に向けてだった。

製作費用500万円、スタッフ・キャストは全員ノーギャラと言う無茶苦茶な
条件の現場を脚本と彼の熱意を組、木村先生はこの仕事を引き受けられた経緯が有る。

木村先生は日活がロマンポルノを始める時にフリーで独立されて以降
満たされていない現場にも脚本と制作意欲が会えば参加されていたと言う。

ここ数年間は「京都造形大学のを好んで一人ででも新幹線に乗って行ってました」
と親族の方が言っておられた。

国立大学からの依頼も断り、日活の講師もやめて林海象さんの大学に来ていたのだ。
そこで最終作品である自ら監督をされた「黄金花」が北白川派第一作品として製作された。

ここの映画学科のにとって木村美術監督の資料を所蔵する事は
実践に生かせる資料に成る事は基より日本映画史の資料となる。

木村先生のセットの中には建物の断面を現したセクション的で舞台的な表現が有る。
「肉体の門」では戦後の東京のドヤ街に男の入れない領域を
レンガと階段で複雑な構造を表現されていた。

そこに唯一迷い込んだ男が宍戸錠だった
実際にはあり得ない空間なのだがそれをどう表現するかなのだ。

M.C.エッシャーの絵に不可能な建物という階段が上下する錯覚の絵が有る。
まるでこの絵を思わせる様な構図に成っていたのだ。

京都造形芸術大学の映画学科が使用する高原校舎はハナミズキを囲む様にして
教室やスタジオが狭い所に建ち並び複雑な階段で繋がれている。
ここの建物も上から見るとエッシャーの不可能な建物を思わせる景色が有る。
木村先生は晩年に高原校舎をすごく好まれていたらしい。

最後に木村先生の好きだった言葉、家族の方達から聞きました。

汝(なんじ)の立つ所を 深く掘れ其処 (そこ)には泉あり」ニーチェ



写真:

仏壇横の木村先生の写真
学生の梱包作業
本棚
大映1954年「或る女」完成アルバム 木村美術監督作品
スチール 京マチ子さん
20年前にこの家を建てられた棟梁が残材で作った木村先生お気に入りの作業机
調布 木村邸外観
京都造形大到着、4階教室に設置前、学生の拭き掃除
可動式スチール本棚設置完了
今回手伝ったメンツ、他に山本先生と卒業生男子(左自分、中央嵩村さん)
木村先生のイメージ画


2010年8月12日木曜日

Wood sign/ ならまち Cherry's Spoon 燈花会(とうかえ)










奈良県の興福寺、あの阿修羅像のお膝元に伝統建築群地域「ならまち」が有る。

丁度去年の今頃、淀屋と言う呉服屋さんを一部改装してカフェを作った。
当初は呉服のお客さんがカフェに寄ってくれれば言う感じだったが
あれから一年が経ち今はカフェのお客さんが主流と成った。

カフェのオーナーである息子さんから電話が有ったのも春の終わり頃だったが
お化け屋敷が終わるまでは手が付けられない状態で待ってもらっていたのだ。

僕に取ってこのならまちの店舗の仕事は奈良人との初めての仕事でもあり
ここのお客さんとの繋がりは直接、奈良人との印象に繋がっていた。

改装から一年が経ちこうしてまた仕事を頼んでくれるのは嬉しい事だが、
伝統的な呉服屋が一つ消えて新しくカフェが出来るのも時の流れとでも言うのか
寂しい感じがした。

お客さんの要望では格子があり木製の看板に英語で屋号の"Cherry's Spoon"
をあしらって欲しいとの事だった。

木製看板ウッド・サインは今年の秋のグループ展覧会に別企画で提案した事も有り
最近いつも頭に入れていた木工の仕事の一つではあった。

アメリカのウッドサインをそのままここに付けるのでは「ならまち」の雰囲気を
潰すのではないか。などを考えながら和の雰囲気を出来るだけ生かし
お客さんの要望も出来るだけ表現出来る様に自分なりにまとめた。

格子の作業は実はアメリカで嫌と言う程やって来た作業なのです
日本的な要望が多く外国から日本を見直し帰国しては観察して来た物なのです。

今回は格子戸の中に円形に木を埋めて丸を作りその中でウッドサインを掘った。
技術的にはルーターにスパイラルのフラッシュビットをつけてフリーハンドで
文字のあたりを縁取りした、スパイラルのビットは手ぶれが少ないので最適。

デザイン的にはアメリカのウッドサインの基本でもあるのですが
「枠の中からはみ出したオブジェクト」今回はカフェなので一目で分かる様に
コーヒーカップを表に飛び出させました。

そしてこの飛び出たオブジェクトには掘りと塗りで陰影を付けるのです。
そうする事に寄ってコーヒーカップを持ちたくなる様な気持ちにさせるのです。

カラーリングはならまちとコーヒーをイメージした16パターンの中から選んでもらい
どれを持って来てもこの街の中であまり出しゃばらない物にしていた。

今のお盆の時期はこの「ならまち」では夏の風物詩として燈花会(とうかえ)が行われる
町中に白く細長いカップの中に水を入れその中にロウソクを浮かべ
夕方に成ると町の人が共同で準備をして火を灯す。

出来上がったばかりの格子戸と看板を近所の人達が見て
「ええのんが出来たねぇ、デザインがすごく良い」と褒めてもらった。
僕にとて今回の仕事は「ならまち」を損ねず手仕事で今を表現しました。
近所の人に気に入ってもらえたのでほっとしました。




2010年8月3日火曜日

BAR 秘密探偵/電飾






京都に有る林海象監督の店、喫茶・BAR私立探偵の二階に
単なる普〜通の古いアパートの一室を改装し「BAR秘密探偵」を密かに作られていました。

僕は今回仕上げの電飾で参加させてもらった。
内装工事とデザインは京都造形芸術大学卒業生のナッキ。
彼女とは今年のお化け屋敷で一緒に仕事をした仲なのです。

京友禅パゴンの赤い乱菊が壁に使われている。