2010年10月26日火曜日

レアアース(希少木)/青木木材/大阪平林


 






大阪南港近くにある貯木場の平林、青木木材
熱帯雨林の幅1メーター以上、長さ10メータの盤が積み上げられている。

これらに木は紛れもなくレアアース(希少木)だ。
熱帯雨林は地球上で一番古い森にあたる。
樹高50メーターを越える木が育つには南百年もかかる。
それらの木がここに集まっているのだ。

これらの木が今急速に人間の手で切られている。
ピリピンラワンが無くなり、インドネシアの今は切れなくなっている。
西アフリカの熱帯雨林の樹木も今は9割が中国に輸出しているらしい。

中国が経済発展する前は限られた木の種類が輸出されていたが
今は何でも材木として利用する様になり、色んな種類の木が有る。

北米材を今までアメリカで使って来た自分には
これらの熱帯雨林の木が新鮮なのだ。

最近ウチに来る仕事で使用する材料の種類は
近隣の雑木をウチの工場で製材したものと
青木木材の熱帯雨林からの大きな盤を買って共木で家具を作ることが多い。

お客さんに青木木材に来てもらって木を選んでもらう。
僕としては西アフリカに連れて行く様な気分で来てもらうのだ。



2010年10月18日月曜日

パゴン 朝日新聞/パリコレ”鮮烈”デビューへ






朝日新聞朝刊のトップにパゴンさんの記事がトップに載っていた。
ブライダルファッションデザイナーの桂由美さんと手をくみ
来春のパリ・コレクションで世界の舞台で作品発表するらしい。

パゴンさんとは去年からお化け屋敷でお世話になっている。
林海象さんの監修で今年で二年目。
パゴンさんの亀田社長が言う「ワシの目の黒いうちはお化け屋敷はつづけるで」

上の写真は今年のお化け屋敷で作った物の一部です。

サイケの通路ブラックライト

ミラーの間 仕掛け窓からお化けが出る

学生運動で活躍したコップヌードル 麺にまみれたお化けが出てくる

ミッドセンチュリーとモニターの棚 人形の首が飛び出る

通路歩行中 前面からCO2(炭酸ガス)背面から電飾のボブ

他にも乱菊の間、ゲバ部屋や三島の部屋などもありました。


来年はパリでやってくれたらいいのにな、あの社長ならやるかも。

パゴンさんのホームページはコチラ 

朝日新聞の記事はコチラ 

2010年10月2日土曜日

独立行政法人NICT/モニターカバー






精華町のけいはんな研究所のNICTから急ぎの仕事の電話が有った。
9月29日までにモニターのカバーを作って欲しいとのことだった。

幕張メッセで使用するらしく、発送までに時間がない。
急遽、橿原神宮前駅の仕事を中止して作ることにした。

初めての独行の仕事で契約前には業者届けなどが必用になる。
遠からず税金からの仕事になる、蓮舫さんのニュースを見るたびに「もっとやれ〜」
と叫んでいた業種の所からなのだが、いざ仕事が来るとここは続けて欲しいなと
応援したくなる。

仕事の内容はモニターのカバー制作、無機質な感じのウレタン塗装仕上げだ。
4x8のソリッドコアで枠を作り石膏で下地を作る。
サンディングシーラーのあとつや消しのウレタンを吹き着ける。

単色にすると凹凸が目立つのでセメダイン・ハイクイックで凹みを埋める
ウエットサンディングで仕上げては又塗装する。

塗装前に現物にはめ込み取り付け出来る様にしておいたので
完了後は問題なく収まった。発送期日前々日の納品でなんとかセーフでした。

また宜しくお願いいたします。





2010年9月26日日曜日

木の仕事展’10/DM 表紙作製/Wood Sign V-Groove




今年は「木の仕事展」の展覧会のDMのデザインを担当することになった。
木の仕事の会には去年より豊川さんの紹介で入会し、秋の展覧会はこれで二度目になる。

帰国してから何度か木工家が主催するのグループ展のチラシを目にしていたが
その多くがコンピュータグラフィックで写真を駆使したり、
遠目に作品を奇麗に見せた物などが多かった。

今回、機会があって自分がデザインすることになり今までに無い物を作りたいと思い。
僕からのメッセージと意気込みを表現した。


『磨いでますか〜!』

『刃物が磨げれば何でも出来る!』







今回のチラシのデザインは同時開催のウッドサイン展を兼ねてウッドサインで作りました。
参考までにこのDMのウッドサインの作り方を説明いたします。

使用した材料はケヤキ、ちょっと無理をしましたが良い結果が出たと思っています。
まず文字とレイアウトをコンピュータでチラシの大きさの比率で作り
そして材料から木目などを見て彫る広さを決めました。

彫る範囲を約50センチ角の大きさにして実寸でプリントアウト、A4の用紙6枚分。
そしてスプレー糊でそのプリントをケヤキに貼付けます。

V−GROOVE / ヴイグルーヴ

基本的な彫り方の一つです。西洋では文字などによく使われますが
日本でもお寺の梁などに彫られている模様もこの方法が用いられています。
直線、曲線、文字、模様に利用出来ます。

1.太さのある文字を書く、今回はプリントを貼りました。

2.その文字の中央に線を書いて行きます、太い所、細い所全てにです。

3.末端の角は角から内側へ45度に線を引きます。(上写真参照)

4.まず中央の線の所にノミを真直ぐ下に下ろし筋を付けて行きます。

5.次にその中央の筋に向かいV字にノミを入れて行きます。

6.V字に彫る時は全て同じ角度で彫ると太い細いの所のつながりの辻褄が合います。

7.一通り彫るとまた中央線にノミを入れ文字のアウトラインまで掘り下げます。

(注意:最初から希望するアウトラインを彫らないこと、中から掘り最後に
薄くアウトラインを手彫りする程度で仕上げます。)


必用なノミ:平の大中小極小、内丸と外丸の大中小、Vの彫刻刀。

内丸と外丸はどちらか有れば何とかなります。

上の写真のは別の時にDの文字を彫った時に撮った物です、Vの彫刻刀で仕上げる。


1.

2.

3.

4.

Wood Signs にはトリムを付けました。

1の写真の様にアウトラインより少し外にノミを入れて行きます。

2の写真では一回りした後アウトラインにそってノミを入れています。

3彫りの仕上がり 4色を付けて平面なのでサンディングすれば完成です。



スプレー糊で付けた紙はヒートガンが有ると糊を暖め簡単に捲れます。




木の仕事展’10

会期:11月12日(金)〜14日(日)9:30〜17:00

キャラリートーク 14日(日)10:30〜12:00

会場:大阪市立クラフトパーク URL 

547−0012 大阪市平野区長吉六反1−8−44






2010年9月23日木曜日

”Truss” トラス補強 / 尺目の寸法読み


朝7時に集合、一時間以上かけて現場に行き8時半にヘルメット冠って朝礼。
10時に三十分、12時に一時間、3時に三十分の休憩があり、五時過ぎに終了。
規則正しい生活が続いている。

建物の構造は6寸角180角の材料を金物とボルトで結合する
西洋建築の工法で作られていた。

現在の仕事は天井の梁を支える約1:2の大型のトラスの補強工事。
六寸角のヒノキでトラス内を補強しその上に針葉樹合板を指定通りに釘で止める。

65の釘を30〜50ミリの間隔で止める工法はアメリカの建築物でよくやった。
耐震壁を作る時の釘のピッチがこんな感じだった。
ちなみに耐震壁は Shear wall (シアーウォ−ル)と言い
釘の指定を Nailng schedule(ネイリング・スケジュール)と言っていた。

アメリカの検査の基準はそれはそれは厳しいものだった。
検査の事をインスペクションと言い、検査官をインスペクターと言う。
建築関係の検査官はビルディング・インスペクターと言う。

構造検査(フレーミング・インスペクション)
釘検査(ネイリング・インスペクション)
など段階経てで検査官がカードにサインして行く。
サインが無くては次の行程に進めないのだ。

例えばネイリング・インスペクションでは一カ所でも間隔の広い所が有れば
カードにサインをせずにインスペクターは帰ってしまうという事になる。
石膏ボードのビスも紙を破るとやり直しという事になる。

プラスターの下地のラスなんかも触って震える箇所が有るとサインしてくれない。
など色々と検査でものすごく大変だった事を思い出す。



今回の仕事で大変身に付いて来ている事が有る。
それは尺貫法を用いて職人さんと仕事をしている事だ。

インチ、フィートは目検討も効くぐらいだが、尺寸分厘はどうも慣れていなかった。
それがこの現場でかなり身に付いて来ている。

目盛りを読むという事は目盛りが言えなくては身に付かない。
独学で尺目を使っているだけでは目盛りの読み方も自分流になる。

例えば尺二寸五分と言うと一尺を尺だけ言う事にしている。
これらの呼び方は尺目を実際に使っている職人と仕事をしないと耳に付かないのだ。

アメリカでもそうだった。
日本から来た大工がフィートに慣れようとするがなかなか慣れない
日本人同士だけで働いていると3/4を四分の三とか言ってやっている。

3/4はスリークォーター、1/4をクォーター
1/8をエイス、1/16をスィックスティーンスと言う。
3/32をスリー・サーティーセカンスなんて言えると一人前だ。

フィートも尺目も人間の大きさから生まれた寸法である。
仕事帰りの車の中で大工同士の会話を聞くと...

「あいつは立ったら五寸有るらしいぞ」五寸と言うと一尺の半分だ
「いやーあの組のあいつは六寸有るらしいぞ」
「えっ!六寸言うたら180や...それはゴッツイなー」

昨今、こんな感じです。






2010年9月13日月曜日

大工応援/奈良県文化財/橿原神宮前駅の耐震工事








宮大工の棟梁から「ウチの仕事手伝いに来ないか?」と言われ、手伝うことになった。

仕事の内容は、近鉄の橿原神宮前駅 の耐震工事の応援だった。
この駅は奈良県の文化財に指定されており木造の作りを保存する目的で補強される。

調べてみると、築70年、1940年に野村藤吾と言う建築家が建てた物だ。
野村藤吾は当時の建築批評では東の丹下健三、西の野村藤吾と比較された人物である。
90歳を超えても造作意欲は落ちず、死の前日まで仕事をしていた事は伝説になった。
有名な作品は大阪の新歌舞伎座 など数多く有る。

遠目に切り妻の大きな屋根を見ると、京大の西部講堂を思い出してしまう。
こちらの方がガッチリした作りのようだが明日よりこの切り妻の中に入る。

久々に骨のある大工さんと一緒に仕事が出来て嬉しいし。
日本の在来建築は以前から勉強したかったのでいろいろと教えてもらおう。

3日程働いて棟梁に日当の話をした
「後の喧嘩は初めにする」これが職人の日当の話らしい。
一人前の職人で扱ってもらえた、引き続き来てくれという事になった。


2010年8月25日水曜日

東京葛飾 人形ケース職人の鉋 譲り受ける



東京葛飾で人形ケースを作られていた山田さんと言うおじさんが91歳で亡くなられた。
そのおじさんの娘婿さんは僕の奈良の知人でたまに伐採した木を分けてもらっている。
「ワシが持っていてても宝の持ち腐れや」と僕が譲り受ける事に成った。

平の寸八、内反り、外反り、際、溝、面取り、台直しなど合わせて21丁
建具屋が使う様な鉋が多く口も狭く手入れもして有りすぐに使える物ばかりだった。

嬉しいな、これもなんか亡くなった人とか道具との縁の様に思えます。
額縁やモルディングなのどの作業に充分使えます。

これだけのまとまった道具を頂くとその人がどんな人だったか考えずにはいらえません。
山田の焼き印は付けたまま使用しよう。

実はこの前、アメリカで使用していた鉋が限界に来たので
寸八と48ミリの平鉋新調したばかりだったんですけど
転がり込んでくる時ってゴロゴロといっぺんに来たりするんですね。

こういう細工ものの鉋を観ると思い出すのが黒田辰秋さんの工房の鉋だ。
若い頃、京都の清水にある黒田邸にはよく遊びに行った。
辰秋さんはその時既に亡くなられていたが息子さんの乾吉さんにはよく遊んでもらった。

床に座る作業場の壁際には小引き出しがいっぱい有りその中にびっしり子鉋が入っていた
辰秋さんは自分で鍛冶もされ鉋も作られていたという。
息子の乾吉さんも僕がアメリカから帰って来た時には名前が変わっておられた。

あの道具達はは今どうなったのかな?




2010年8月24日火曜日

展示台作製/GOOD DESIGN EXPO 2010






大阪のインターデザインさまからの依頼で
某メーカーの刈払機の新作の展示台を作製しました。

素材は木ですが無機質で機械的な仕上がりを求められていたので
木部に金具のチャンネルをはめた後、テーピングと石膏で下地を作り
グロスのポリウレタンでプラサフ下地と上塗りを吹き着けました。

イメージ通りだと大変喜ばれていました。

インターデザインさまは僕の出来る事をよく把握して頂いてます。
お互いに信頼し合い尊重し合って仕事をしているので
大変気持ちのよい関係が続いています。

これからも宜しくお願い致します。

2010年8月20日金曜日

故 木村 威夫 先生の映画美術資料移設/片身受け林海象


京都造形芸術大学、映画学科技術コースの教授である嵩村さんから電話が有った。
今年に入って造形大関係の仕事が増えている、学科長の林海象さん絡みの依頼だ。

舞台、映画セット、お化け屋敷、学祭の舞台などポシャった仕事も有るが
映画学科の高原校舎に呼ばれる事が多くなった。

今回の仕事は東京の調布に行き故 木村 威夫 先生の映画美術の資料と
スチール製の可動式本棚を京都造形大学の教室に移設するプロジェクトだった。

僕は生前の木村先生を知らない。
4年前に帰国してから映画関係の仕事に携わる事がしばし有る。
今回の仕事はそんな中、映画美術を考える一つのきっかけに成りそうな気がする。

このプロジェクトで事前に東京入りして資料の整理と梱包の準備をされていたのが
師・木村 威夫の志を受け継ぐべく完全再現に燃えていた嵩村さんだった。

この膨大な映画美術資料を丸ごと分散する事無く
ひとまとめに引き受けるれる事はそう出来る事ではない。

作業中、日活芸術学院の方も見に来られていたが指を銜えて見ておられるだけだった。
これらの物を丸ごと受け入れられる設備と準備が出来ないからだ。
木村先生の経歴からすれば日活で保存される事が筋なのだが実現しなかった。

そこでこの日本映画史に残る美術資料を受け入れる事を買って出たが
現在、京都造形大学映画学科学長である林海象さんだった。

海象さんは27歳の時、映画製作に携わった事も無い状態で
大映、日活と当時200本以上の映画美術監督をされて来た木村先生の所を訪ねた。
処女作である「夢みるように眠りたい」の実現に向けてだった。

製作費用500万円、スタッフ・キャストは全員ノーギャラと言う無茶苦茶な
条件の現場を脚本と彼の熱意を組、木村先生はこの仕事を引き受けられた経緯が有る。

木村先生は日活がロマンポルノを始める時にフリーで独立されて以降
満たされていない現場にも脚本と制作意欲が会えば参加されていたと言う。

ここ数年間は「京都造形大学のを好んで一人ででも新幹線に乗って行ってました」
と親族の方が言っておられた。

国立大学からの依頼も断り、日活の講師もやめて林海象さんの大学に来ていたのだ。
そこで最終作品である自ら監督をされた「黄金花」が北白川派第一作品として製作された。

ここの映画学科のにとって木村美術監督の資料を所蔵する事は
実践に生かせる資料に成る事は基より日本映画史の資料となる。

木村先生のセットの中には建物の断面を現したセクション的で舞台的な表現が有る。
「肉体の門」では戦後の東京のドヤ街に男の入れない領域を
レンガと階段で複雑な構造を表現されていた。

そこに唯一迷い込んだ男が宍戸錠だった
実際にはあり得ない空間なのだがそれをどう表現するかなのだ。

M.C.エッシャーの絵に不可能な建物という階段が上下する錯覚の絵が有る。
まるでこの絵を思わせる様な構図に成っていたのだ。

京都造形芸術大学の映画学科が使用する高原校舎はハナミズキを囲む様にして
教室やスタジオが狭い所に建ち並び複雑な階段で繋がれている。
ここの建物も上から見るとエッシャーの不可能な建物を思わせる景色が有る。
木村先生は晩年に高原校舎をすごく好まれていたらしい。

最後に木村先生の好きだった言葉、家族の方達から聞きました。

汝(なんじ)の立つ所を 深く掘れ其処 (そこ)には泉あり」ニーチェ



写真:

仏壇横の木村先生の写真
学生の梱包作業
本棚
大映1954年「或る女」完成アルバム 木村美術監督作品
スチール 京マチ子さん
20年前にこの家を建てられた棟梁が残材で作った木村先生お気に入りの作業机
調布 木村邸外観
京都造形大到着、4階教室に設置前、学生の拭き掃除
可動式スチール本棚設置完了
今回手伝ったメンツ、他に山本先生と卒業生男子(左自分、中央嵩村さん)
木村先生のイメージ画