先月、アメリカ村のサンホールで芳養屋のはやさんの結婚式に行った。
芳養屋は大阪ディープサウスのミュージシャンの溜まり場で超安い飲み屋なのだ。
サンホールのプロデューサーで音響をされている方が
「若キチ、久しぶり」と声をかけて来た。僕は友達からはワカキチと呼ばれているのです。
顔は覚えが有るんやけど思い出せない、話を聞くと
アメリカに行く前の20年前に寝屋川の観光農園でやったシャンシャンの野外公演
で音響をやっていた足立さんだったのだ。
昔の写真が有ると携帯に入れられていた物を見せてもらった。
当時の事だし写真で撮った物をスキャンして取り入れたものです。
寝屋川の陶芸家の石田さん言い出しっぺで始まったこのライブ
僕が舞台を建てる事に成った、左右に長い花道を延ばし畑の上に舞台を建てたのだ。
丸太の造形物の一番上にピンクの僕のパンツをなびかせた。アホです猿です。
足立さんの写真を今回メールで頂いたのでここに載せてみました。
アメリカに行く前はいっぱいイベントや舞台を作ったのですがあまり写真が残っていない
この写真は僕に取って貴重な写真の一枚になりそうです。
当時の僕は失う物が無かった、飯と酒で長期のイベントにもよく参加していました。
丸太で作る造形物もそんななか覚えて行ったのです。
この丸太造形も今と成れば昭和の仮設工法なのですが帰国してからも
結構シノとバンセンを握る機会がある、それも仕事としてです。
ひょっとすると今年の後期にこの丸太組を大学で客員教授として教える事に成るかも
しれません。そんな冗談の分かる大学が有るものなのか?
1990年 上々颱風(シャンシャン・タイフーン)寝屋川野外公演
について書かれているブログが有りました。リンクはコチラから 。
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