2015年2月7日土曜日

近江富士花緑公園内ウッディールームの活性化とヴォーリズ探索


木の仕事の会からの案内で滋賀県湖南地域 野洲市にある近江富士花緑公園内のウッディールームの活性化と有効活用について相談があり直接担当者の方たちと話し合うことになり現場を見に行った。何故この地域の木工施設に引かれて話を聞きに行ったかと言うとひとつに近江八幡に近いからだった。近江八幡にはかねてから訪れたかったヴォーリズの建築物が多くあるからだ。この相談の話がメールされた時に漠然となにかヴォーリズの仕事にかかわることが出来ればと思ったのがきっかけだった。ウッディールームの現状を聞き僕なりの提案をしてきた。それは現在使用されている針葉樹の間伐材の利用から近隣で伐採された広葉樹への利用に変えることと利用者の対象の幅を広げるために家具を作ると言うことだった。そのことについてはこれから踏み込んだ進展があればまたブログでお知らせすることになると思います。

話し合いのあと午後から始めての近江八幡ヴォーリズ探索をすることにした。予定も無く場所もしらべづ取り合えず近江八幡へ向かった。日牟禮八幡宮(ひむろはちまぐう)の鳥居の前の白雲館に行くと案内があると聞きそこでガイドブックを購入した。この日はくまなく観るつもりは無く関係者の方と話が出来たり建物がひとつでも入れたらと思っていたが結局そういうことは出来ず仕舞いだった。しかし外観だけでも何棟か見ることができた。


最初に見たのが細い路地中の角にあったミッションダブルハウスだったレンガの塀、煙突、エントランスのポーチ、ダブルハング・ウィンドウとテクスチャーのウォール、一見アパートのようにも思えたが一番手前にありさわる事の出来た門扉の金具を見てああこれはヴォーリズだと分かった。彼は多くの建築用金物を輸入していたからだ。そして歩いてすぐのところにウォーターハウス記念館と吉田邸が有ったが入れない。しかしここでも門扉を見るだけでも充分に楽しむことが出来た。






白雲館近くにある旧八幡郵便局舎、ミッションスタイルの特徴的なパラペットルーフが正面のファサードにある。このミッションスタイルとはラテン系の地域の協会などの洋式でメディトレニアン地中海洋式またはスパニッシュスタイルの中に分類される洋式です。ちょっとパンフレットが写ってしまった。窓を覗くとおっと!面白いシェイプのテーブルがありました。ここでもまたヴォーリズやなぁと感心する。




そこから少し歩いて晩年過ごされていたと言うヴォーリズ記念館へ行った。何棟か見ていると煙突、チムニーのキャップが見えてくるとこれだと分かる様になる。コロニアルスタイルとも書かれていたが焼き杉のサイディングと入母屋の屋根はどこか日本的な要素が多いような感じのする外観だった。しかしここでも門扉は圧倒的な存在感を表していた。凹凸のあるブリックの使い方と帯兆番にハンドル。おっとこのハンドルは吉田邸と同じものだね100年のヴォーリズですね。





そして最後に少し離れたヴォーリズ記念病院にあるツッカーハウスを見に行った。大きいねと思ったが西海岸のパロスバーデスあたりでは普通の家屋の大きさでもある。なにか寂しいなと思ったら正面の切妻、ゲイブルのエンドが取れているからだと思う裏面には破風のエンドが付いていた。一見だダブルハングの窓のようだが引き戸式だったアルミサッシの建具に変えられていたのはとても寂しかった。俺やったら同じものつくれるのになぁと思いながら見ていた。100年の家屋とは確かに老朽化するがアメリカでは普通に不動産で今も取引されている。僕も実際に西海岸の港サンペドロでは1904年に建てられたヴィクトリアンスタイルのクイーンアンという形の家に住んでいた。それはポーチにコラム柱、切妻のうろこ壁、フリーズにサイディング、正面にはサンルームのデン、バックヤードからは地下室のセラーの扉が付いていた。不動産のオーナーは変わりその都度、色が変えられてゆく僕の時も自分で色を変えたりした。東海岸では200年以上のコロニアルの家が今も使われている。それらの家は文化財で保護されているのではなく所有者がメンテナンスして残ってきているのだ。イギリスあたりの石の家は500年と言うから驚きである。アメリカの家を軽視する日本人の方がいるが実際にはアメリカの家のほうが永く使ってられます。サンフランシスコもそうやしそ、だから僕はこういうアメリカの家が好きなのです。ヴォーリズが日本に来て日本に適したアメリカの建築物を作ってきたことは今の私たちの利用できるアイデアがいっぱいあるはずです。それを知りたくて今回ここまで来ましたがまたの機会を期待してこの日はあっさりと帰る事にしました。いつかヴォーリズ建築の修復にも参加できればいいな思っています。